この日は復路の列車を「たまや築堤」で撮影後、私は後続電車に乗って会津若松に帰ります。
途中どこかでD51を追い越したはずですが (当時、上下本線のほかに副本線もあった川桁か翁島だと思われる)、欲は出さずに直帰してホテルに入り、ベッドで寝っころがっていました。
これはダイヤが乱れていてD51の時間が読めないことと、それ以上に、そのあとの電車で会津若松へ帰らなければならないことも考えたときに、リスクが大きいと判断したからです。要は道草を食っていると「私自身が会津若松に帰れなくなる恐れがある」。
D51を頑張って撮ったとして、それに続く最悪のシナリオを想定した場合、すっかり夜の帳が降りた無人駅で強烈な寒さの中、いつ来るとも分からない会津若松行の電車を待ち続けることになりかねません。運転見合わせにでもなった日にはお手上げ。
特に川桁や翁島で降りてしまうと、快速が(基本的には)停まらない駅のため、列車本数がただでさえ絞られ、さらに問題は切実です。
それを確認すると、カメラ1台だけ持って駅へ向かいました。
大幅に遅れていること、また今日は試運転の最終日であり、明日はSLの運転がないため、復路を中山宿付近で撮影してそのまま帰宅した人も多かったのでしょう、駅に“鉄”の姿はゼロ。
客車だけ先に引き上げられ、ホームの外れて一人ポツンと佇むD51498は、なんだかホッとしているように見えました。
■1996-2-1(木) 会津若松 D51498 (このページの写真すべて同)
1.2.3.4.5.6.7
デゴイチよく走る!
掲 草 予 時 写 昔 DB 鹿 宿