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■マイ・ブーム
2010/01/07
訳あって、麻雀に少しハマっています。麻雀そのものは子どもの頃からやっているので、ルールも役も一通り知っている(つもり)ですが、点数計算は出来ませんでした。飜数は数えられるので、これは高そうな手だなとか、これは1,000点か1,300点だろう程度は想像できましたが、じゃあ1,000点と1,300点の違いは?となると分からないわけです。

そこで点数計算を勉強するために、夜な夜なパソコンで麻雀をやっている今日この頃。オンライン麻雀などではなく、かつて勤めていた会社のパソコンから○○(自粛)してきた単純な、しかし良くできている4人打ち麻雀ゲームソフトです。

かれこれ一週間ほど、訓練してきた成果が出始めました。1,000点と1,300点の違いも、理屈を理解しました。一目見ただけで「○○○点!」と声高々に宣言できるレベルにはまだまだ遠いものの、簡単な手なら10秒、複雑な手でも(よほど混み入ったものでなければ) 20〜30秒あれば、自力で点数を弾き出せるようになりました。もはや、x2、x2、x2・・・と計算していくのではなくて、九九よろしく何十符の何飜ならいくら、というところまで来ました。

算数の九九も実際には81通りも覚える必要がないのと同様、麻雀の九九は10通り覚えれば良いそうで、それよりも何十符というあがり点の計算が肝なんでしょうね。あがり点の計算ができなければ、九九の表にも当てはめられませんから。

もっとも、麻雀に精通している人はあがり点の計算すら要せず、あがりの形と点数を図形的に結びつけて覚えているようです。

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それはそうと、気付いたことが一つ。
麻雀を知らない方は読み飛ばしていただくとして──

細かい点数を気にしながら麻雀を打つと、なかなかあがれない罠。

少しでも高い手になるようにと欲を出すからでしょうか、具体例を挙げれば、孤立している数牌の7と9を両方捨てることにした場合に、従来であれば(チャンタ狙いでもなければ) 9を先に切っていました。これは麻雀におけるセオリーであり、たとえ一巡だけでも、9より7を残しておいた方が、新たな繋がりができる可能性が少しでも高いからです(次に8を持ってきてしまうとフリテン臭くなって厄介ですがね。でもそれは9を残していても同じこと)。

7を残しておいて、次に6を持ってくれば、ある種の理想ですが、ここで余計なことを考えるようになってしまいました。
・7を残しておいて、7をもう一つ持ってきてしまうケースと、
・9を残しておいて、9をもう一つ持ってきてしまうケースとで考えた場合に
その後のポンなどで後者の方があがり点が高くなりやすいことを点数計算で知ってしまうと、セオリーに反して7を先に切ったりしてしまうわけです。

つまり、点数が高くなる可能性ばかりに目が行ってしまい、何よりも重要な「あがる」という目標を見失っている状態です。あがらなければ、点数もへったくりもないのにね・・・将棋で言えば「王より飛車を可愛がり」みたいなものでしょうか。

点数計算を完全マスターした上で、点数に拘らずに打てるようになれれば、私の麻雀力もステップアップするんでしょう。

「カメラやレンズの構造に詳しくなりすぎると、良い写真を撮れない」という言はしばしば聞きます。若い頃は「そんなことはないだろ」と思っていましたが、今になってみれば言い得て妙という気もします。

もちろん写真を撮る以上は、カメラやレンズに精通している必要があり、それは決して無駄なこととは思いませんが、極端な例で言えば、絶好のシャッターチャンスの時に「100-300mmズームより200mm単焦点の方が写りがいい」といってレンズを付け替えている間にシャッターチャンスを逃してしまう、みたいなものでしょう。

カメラに100-300mmズームが付いていたら、兎にも角にもシャッターを切るのが先決であって、画質がどうこう言っている場合じゃないわけです。下手に知識があるばかりに余計なことをしてしまう例。

同様のことは、カメラや麻雀や将棋だけでなく、日常の生活においてもしばしばあるように思います。何が一番大事なことなのか、何が本当の目標・目的なのか。物事の本質を見極められるようになりたいですね。

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DB 鹿 宿