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お別れスイッチバック号

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■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 9426列車 ED782+EF71+12系 「お別れスイッチバック号」

1990年8月、山形新幹線の工事が進む板谷峠。この時すでに赤岩のスイッチバックは廃止されていて、庭坂〜板谷間は旧上り線を使用した単線運転となっていましたが、9月からは、さらに次の段階へと入ります。

今度は、残る板谷、峠、大沢の各駅のスイッチバックが廃止・全廃され、福島〜米沢の全区間で単線運転が実施されます。途中の交換可能駅は庭坂のみ、つまり庭坂〜米沢間は約35kmに渡って、列車交換が一切出来ないという由々しき事態です。

特急「つばさ」は運転本数が削減され、板谷峠を越える定期の夜行列車もなくなります。「あけぼの」は2往復のうち1往復は陸羽東線経由に、残る1往復は羽越本線経由「鳥海」に建て替え。「津軽」は仙山線経由となり、山形駅で進行方向が変わるなどの事情で電車化され、583系になります。

「おが」など一部の予定臨は板谷峠経由のまま残り、実際に1990年10月の「SL紀行・陸東号」の撮影へ行った際は、8405/8406列車のスジで運転された「おが83・84号」 (このときは14系座席車) に乗車し、夜の板谷峠を通過しました。


そんな折り、福島〜山形間で「お別れスイッチバック号」という列車が運転されました。EF71+ED78の重連牽引で、12系6輌。1990年8月25・26日は福島出しで1往復、8月30・31日は山形出しで1往復という行程です。

私は最終日の8月31日(金)に、青春18きっぷを利用して行ってきました。その日は「お別れスイッチバック号」の運転最終日のみならず、板谷峠のスイッチバックの最終日でもあります。


■1990-8-31(金) 西川口 402列車 EF651021 上り急行「津軽」 リンゴのヘッドマーク付き
「津軽」は上下列車とも、8月31日夜の発車分より583系化されたため、この日のこの列車が、客車列車としての「津軽」の最終列車です

■西川口を選んだワケ

ともかく東北本線の二番列車である、普電523Mに乗って行くことになりました。黒磯、福島と乗り継いで行けば、赤岩で「お別れスイッチバック号」の撮影に間に合います。

その行きがけの駄賃で・・・というか、これも板谷峠に大いに関連がある列車なのですが、ヘッドマーク付きの上り急行「津軽」402列車を西川口で一発。

「津軽」は今夜の発車分から583系になるため、14系客車として運転されるのは、まさに、この日の、この列車が最後です。横着な私もさすがに無視できず、523Mに上野から胡座をかいてしまうことなく、朝の道草をしたわけです。

しかも1時間目ダイヤによると、上り「津軽」と523Mは尾久〜赤羽間ですれ違うことになっており、「津軽」を撮って、523Mに乗る、ことを両立させるためには、赤羽以北で「津軽」を捉えるしかありません。鶯谷など論外。かといって大宮入線を狙うには、朝が早過ぎて私の方が間に合わず (「津軽」の上野着は5:44、逆算すると大宮は5:16-18頃)、諸条件が均衡する落としどころが西川口だったのでしょう。



当時の私がどう判断したのかは覚えていませんが、今こうして検証してみると、撮影ポイントとして無意味に西川口を選んだ訳ではなく、色々な制約の中でベストをはじき出した結果だったと思われます。

このあとは、浦和から-(523M)-黒磯-(129M)-福島-(429)-赤岩 という行程でしたが、京浜東北などは結構シビアだったはずで、どこかで電車1本でも狂えばアウトです。もっとも「イザとなれば新幹線」という頭はあったのでしょう。何だかんだ言っても、新幹線の存在は大きいです。

初めて赤岩駅に降り立ち、目指すは松川鉄橋。


■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 臨時列車 キハ58
たまたま来た列車で、私は事前情報を持っていませんでした。多分、団体列車です。多客臨ではないはず


■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 9426列車 ED782+EF71+12系 「お別れスイッチバック号」

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デゴイチよく走る!
DB 鹿 宿