このページは携帯用に最適化されています。
パソコン用のページはこちら
福島バルブ

1.2



■1990-7-28(土) 福島 9103列車 ED75730+12系客車 臨時急行「八甲田81号」



■1990-7-29(日) 福島 [1:36-1:46] 402列車 ED75711+14系客車 急行「津軽」 (クリックで白黒ver)
 ED75711はオリエントサルーン専用機で「セブン-イレブン」の愛称でした。なお、専用機は711の他にも存在しました


■1990-7-29(日) 福島 [2:05-2:16] 1003列車 ED75701 特急「あけぼの3号」
理由は知りませんが、機関車次位に座席車(オハフorスハフ)を連結しています。ED75701は、このあと「あけぼの4号」に充当。
前後のコマを見る限り、このカットは列車が完全に停車する前にシャッターを切っていて、下り列車は停車位置などの関係で撮影に制約があったようです



■1990-7-29(日) 福島 [2:05-2:16] 1003列車 特急「あけぼの3号」 機関車付け替え中
客車のテールマークが絵入りではありません (クリックで濃度up)。機関車を撮っていないのは、先頭がホームからはみ出したとか、暗すぎたなどの理由だと思います


1990年7月28日(土)23時過ぎ、私は福島駅にいました。

釜石線のD51498を撮影した帰りで、花巻から普通列車をひたすら乗り継いで、最終列車で辿り着いたのがここ、福島だったのです。

「もう接続列車は翌朝まで無いよ」と言われ、途方に暮れた私・・・というのはウソで、18時台の花巻から普通列車だけで東京へ日着できないことは、調べるまでもなく判っていますから、すべて予定通りの行動です。

上りSLの花巻着は18:18、これを柏木平で撮影して続行の普通列車に乗ったはずですから、-(632D)-花巻-(2524)-一ノ関-(548M)-仙台-(592M)-福島という行程だったと思われます (当時の時刻表がありませんので鉄道ダイヤ情報の1時間目ダイヤより)。


福島マルヨで何を企てているかというと「あけぼの」や「津軽」のバルブ撮影。これらは9月から運転経路が変わり、EF71やED78の牽引が見られなくなるため、ここいらで一発、押さえておこうという作戦です。

という割には、写真を掘り出してみると、肝心のEF71・ED78のバルブは右のカットしか見あたらず、ネガを1本逸失しているのか、それとも機関車交換作業が手際良すぎてバルブをする猶予がなかったのか、ともかく悔やまれます。実際には私の手際が悪かったのが原因でしょう。

しかも「あけぼの1号」[0:32-0:41] は撮っていないようです。もっともこの列車だけ時間帯が孤立していることと、編成写真を撮れない番線だったなどで、私は待合室で寝ていたのかも知れません。今思えば、面撮りでもいいから撮っておけよ、と。

■1990-7-29(日) 福島 [2:05-2:16] 1003列車 特急「あけぼの3号」



■1990-7-29(日) 福島 [2:15-2:20] 8022M 臨時特急「あけぼの82号」(クリックで濃度up)


■1990-7-29(日) 福島 [2:21-2:43] 1002列車 ED75735 特急「あけぼの2号」。右の14系は、下り急行「津軽」401列車 [2:28-2:55]

キャプションに付記した着発時刻を追ってみれば分かるとおり、この時間帯の福島駅は、上下の夜行列車が入り乱れるスゴイ状況です。

東京では下りなら下り、上りなら上りと明確に時間帯が分かれていて、上下列車が同時に行き交うことはありませんから、慣れぬ私は右往左往、てんやわんや。

ちなみに1時間目ダイヤを見る限り、「あけぼの2号」のバルブ中にも、上り「八甲田」が着発していたようです。まったく記憶にはありませんが、横目には見ていたんでしょうね、きっと。


■深夜に駅員の怒号が飛んだ

それは「あけぼの3号」だったと思います。夜間ですので発車ベルも鳴らなかったのでしょう、静かに定発したと思ったら、編成の半分ほどがホームを出たあたりで非常ブレーキがかかり、急停車しました。

そのときホームにいたのは、見える範囲では私一人。「オレは何もしてないぞ」と言い聞かせながら事の成り行きを見ていると、10歳くらいの男の子が泣きながら、列車を追いかけて走ってきました。
そこへ50歳代の駅員も現れ「乗ってたのか!? ゴルァァ!!」

そう、「あけぼの3号」の乗客だった男の子は、停車時間中にホームで写真など撮っていて乗り遅れてしまったのでしょう。ドアを再開扉してもらうと一目散に乗り込んでいきましたが、駅員はカンカンに怒っています。

その傍ら、車掌室から顔を出して様子を見ていた「あけぼの3号」の30歳代の車掌。駅員とは打って変わり、ニコニコしながら「発車オーライ」と再発車の合図を送っていたのが、とても印象的でした。
列車が去った後、なおも駅員「1分延発!? ったくよー!!!!」


一応、補足しておきますと、「津軽」などでは10人ほどの“鉄”がバルブをしていましたが、駅員はそれらに対して一言の注意や文句、ひいては怒鳴るなどということは皆無でした。文字通り、放ったらかしです。

当時は迷惑行為、なかでも列車の運行に支障を来すようなことさえしなければ、“鉄”の自主性を尊重かつ信用し、まだまだ大目に見てくれる時代だったのです。

1.2
デゴイチよく走る!
DB 鹿 宿