■営団地下鉄の車内冷房地下鉄千代田線で本格的に車内冷房を開始したのは1989年(平成元年)のことです。
ただし暫定措置として、その前年の1988年(昭和63年)は綾瀬-北千住間に限り、冷房車は車内冷房を使用していました。この区間は大半が地上区間であり、僅かに地下にかかる北千住駅は駅冷房が完備していたことから、試験的な意味合いも兼ねて実施されたようです。
もっともそれ以前も、かつて乗り入れていた小田急の9000系が、綾瀬(地上駅)での折り返し待ちの間だけ冷房を入れていた、なんていう話は聞いたことがあります。
「トンネル冷房って、そんなの、本当に涼しいの?」
という疑問に私が答えるならば「涼しくない」。ただ、トンネル冷房が無ければもっと悲惨な状況になる可能性は否定できないので、まだマシといったところでしょうか。
103系1000番代などは床下に電気ストーブを積んで走っているようなものですから、しかもそれが8M2T (地上線だと6M4Tが一般的)、つまり10両中8両が電動車。トンネル冷房は、これらから放たれる熱を相殺するだけで精一杯なのでしょう。
千代田線で言えば、103系1000番代が淘汰された以降の国鉄(JR)車と小田急車はすでに全部が冷房車。国鉄(JR)・小田急からしてみれば、非冷房の営団車が容赦なく乗り入れてきて迷惑千万、営団は文字通り「板挟み状態」になっていました。
当時は夏になると「各線の冷房率」が新聞等で発表されるのが恒例で、数字上は「常磐線(各停)は冷房率100%」なんて書いてあるのです (他に通勤路線で100%なのは横須賀線・総武快速線くらいしかなかった)。常磐緩行線用の国鉄(JR)車は全車が冷房車なので、この数字は嘘ではないけど、実態を表しておらず、「非冷房車(営団6000系)が来たじゃないか」というクレームには、「営団さんに言って下さい」というしかないわけで。
一般利用者に排熱とトンネル冷房の説明をしても到底は無駄な話で、なによりも冷房車が走ってしまっている事実は如何ともしがたいものがあります。車掌が冷房のスイッチを入れればいいだけの話ですからね。そこで駅冷房工事も一段落し、電車も排熱が多い抵抗制御車が淘汰されてきたこともあって、ついに営団地下鉄も車内冷房に踏み切ることになったわけです。
また別の問題として営団ではかつて、103系1000番代といった抵抗制御車を乗り入れに使う国鉄に対して、熱処理費を別途に徴収していたそうですが、これらの車輌の置き換えが完了すると、今度は逆に営団が国鉄(JR)に突っつかれる立場になりました。「営団にうるさく言われていた抵抗制御車を全部なくした。だから今度は国鉄(JR)の要求を聞いてくれ(=営団車も冷房化してくれ)」と言われては、返す言葉がないですね。(実際にそういう要求を出したという話は聞いていませんが、無言の圧力のようなものはあったと思います)
別に国鉄(JR)としては、営団に仕返ししてやろうという意図は全くなかったでしょうが、結果として国鉄(JR)の冷房車の存在が、営団の車内冷房の実現に大きく後押しをした形になったと言えます。
■1985-3-9 亀有 401系 低運転台+シールドビーム車(後追い)。低運+デカ目のクハ401-14に比べて、低運+小目玉は頭でっかちに見えました
■1985-3-9 亀有 営団地下鉄6000系 本厚木行(後追い)。「自分が大人になる頃には営団6000系も無くなっているんだろうなぁ」なんて思ったりもしましたが、この写真を撮ってからでも、すでに25年、ほとんどそのままの色・形で今なお走り続けてるのはスゴイです。廃車も無し。後発の203系や207系(国鉄・JR)の方が先に無くなりそう
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デゴイチよく走る!
掲 草 予 時 写 昔 DB 鹿 宿