このページは携帯用に最適化されています。
パソコン用のページはこちら
赤羽踏切にて

1.2.3


年の瀬も押し迫った1983年(昭和58年)12月30日(金曜日)。帰省ラッシュともなれば臨時列車が大増発となります。今回は、583系を使用した臨時特急「ふるさと」を、赤羽付近の踏切から狙います。


若い方は「赤羽に踏切あったっけ?」と思うでしょうが、当時は赤羽線がやっと高架になったばかりで、東北本線の列車線・貨物線は地べたを走っていました。

京浜東北はすでに高架というか盛土の上に乗っていましたが、お陰で京浜東北⇔赤羽線の乗換をしようと思った日には、もう大変。どちらもほぼ同じレベル(2F)にホームがあるのに、乗換通路は列車線ホーム(1F地平)のさらに下を通る狭い地下通路(B1F)しかなく、その地下通路から赤羽線のホームへ行くには貨物線のホーム(1F地平)を経由したり、そもそも新幹線工事で曲がりくねった仮設通路になっていたりして、それはもう忍者屋敷のごとく複雑怪奇で訳が分からない状態でした。


臨時特急「ふるさと」は、上野-青森間に東北本線経由で1往復(上りは大宮止まりだったかも)運転された昼行列車で、その運転区間や583系という使用車種、そして本領発揮とも言える運用方法つまり、本来は夜行特急「はくつる」の折り返し間合いで昼間留置となる編成を、寝台を解体して昼行特急に充当するという、かつての「はつかり」を彷彿とさせるものでした。

トレインマークは「臨時」表示かと思っていたら、しっかり「ふるさと」のイラストマークが用意されていました。側面は「臨時」幕だったと思います。

ほかにも、上野-仙台間には485系「ひばり」、奥羽線方面には485系「つばさ」も、それぞれ“リバイバル臨”が設定されました。リバイバルといってもファン相手のイベント運転ではなく、帰省客相手の大真面目な多客臨です。趣味的には「つばさ」に関しては、上野発着の定期列車もまだ存置されていましたので、注目度は低かったです。


■1983-12-30 赤羽付近 583系「はくつる」 東大宮操への回送


■1983-12-30 赤羽付近 EF6027
埼京線・東北新幹線の高架下に押しやられてしまった貨物線。こんな薄暗いシチュエーションでよくぞカメラを向けたものだと、若き日の自分に拍手したい

当時の東北新幹線工事の関係で、貨物線は赤羽駅の前後が単線化されてしまい、以後15年間もそのままの状態でした。

EF6027の左側に見えるのは貨物線用のプラットホーム(工事中)で、これは翌1984年2月1日から運転を開始する、東北・高崎線の上り普通電車「赤羽行(貨物線経由)」に備えたものです。この列車は東北貨物線を恒常的に走る旅客列車として初めてのもので、いわば現在の湘南新宿ラインの始祖に当たります。

貨物線経由赤羽行の電車は赤羽に到着後、いったん田端操まで回送、さらに折り返し大宮まで回送し、大宮始発の下り電車に充当されました。田端操では、車両の側面に挿している行先板の交換が出来ないため、

籠原→(浦和通過)→赤羽
高  崎  ←  大  宮

という二段表記のものをわざわざ作成し、使用していました。字が小さくて、ゴチャゴチャしてて、一目見ただけでは何が書いてあるんだかわからない行先板。上越線方面に「鉄」しに行くのにちょうどいい時間にあった大宮始発の高崎線下りがコレで、よく乗ったので覚えているんですが、この珍品と言えそうなブツ、どこかに残ってないものでしょうかね。

1.2.3
デゴイチよく走る!
DB 鹿 宿