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機関車データベース
E10:E105
1948-03-09(火)汽車製造大阪 NO.2449 新製 過熱式1E2タンク機 国鉄最後の新製・新形式蒸気機関車 配属 新潟局 配置 庭坂区(着 5/5)(新鶴見操通過 4/25) 奥羽本線板谷峠越えの4110形代替機として使用  
1948-06-27(日)使用開始 庭坂区 この頃 日本映画社の記録映画「たちあがる輸送」の中で転車台にのって転回中のシーンを撮影(ボイラーを背にした運転台(通常の助士席側)が確認できる) 正確な時期不明
1949-03-22(火)庭坂区→福島第二区庭坂支区(米沢電化=板谷峠区間にEF15投入のため支区に格下げ)
1949-05-09(月)福島第二区庭坂支区→人吉区(新鶴見操通過 5/9 着 5/15) 達45号(達は6/16付け) 奥羽本線板谷峠電化のため肥薩線に転用
1949-05-09(月)福島二区から人吉に向け150列車で発送。(仙鉄局機関車課資料)
1949-08:この頃 借入 金沢区 返却せず 正確な時期不明
1949-10-13(木)人吉区→金沢区(着 10/14) 達9号(達は'50/1/11付け) 曲線通過時に重量過大による軌条横圧問題が生じ肥薩線での使用不適となり、やむをえず北陸本線倶利伽羅越えの補機に転用
1953-04-01(水)現在 金沢区 後進正位から前進正位に運転室改造済(但し運転席は当初の右側のまま)
1954-10:借入 大井工場 ECAFE(国連アジア極東経済委員会)鉄道小委員会向け展示会出展用(10/16〜10/20に展示) 返却日 不明
1957-06-04(火)金沢区→米原区 北陸本線(交流・直流区間接続のデッドセクション)米原-田村間の区間運転専用機として使用
1962-05:第一種休車指定 米原区
1962-09-18(火)鉄道開通90年記念東北鉄道展覧会展示のため浜松工場から仙台に向け無動力回送。18日、895列車で仙台到着。国鉄東北支社通達112号
1963-03-30(土)廃車(米原区) 達146号(達も3/30付け) 走行距離 446,744.8km 形式最終廃車機 本形式は終戦後の混乱時の製造のため材質不良による劣化が激しく、ボイラーの状態不良が相次ぎ、さらにその巨大な側水槽の保守管理や少輌数による他形式のような資材部品の使いまわしも困難であったこと及びD51・D50にゆとりがあったことから早々に形式廃止対象にあがった

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DB 鹿 宿