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機関車データベース
D51:D51292
1939-10-05(木)川崎車輌兵庫NO.2198(NO.2200?) 新製 配属 広島局 配置 岡山区(着 10/12) 
1939-10-17(火)使用開始 岡山区
1940-09-28(土)鷹取工場 局部修繕 入場
1940-09-30(月)鷹取工場 局部修繕 出場
1941-09-10(水)鷹取工場 局部修繕 入場
1941-09-12(金)鷹取工場 局部修繕 出場
1942-05-14(木)鷹取工場 一般修繕 入場
1942-05-20(水)鷹取工場 一般修繕 出場
1943-04-18(日)鷹取工場 局部修繕 入場
1943-04-19(月)鷹取工場 局部修繕 出場
1944-05-26(金)広島工機部 局部修繕(六検) 入場
1944-05-31(水)広島工機部 局部修繕(六検) 出場
1944-10-12(木)岡山区→糸崎区
1945-06-28(木)三菱重工業三原 一般修繕 入場(広島地区は終戦直前に至るまで空襲は少なく、何故広島工機部にて修繕しなかったか疑問があるが、動員による欠員や物資不足その他の要因で工機部が機能せず、国家総動員法に基づく軍需産業の三菱重工業に委託するほうが効率的だったものと思われる)
1945-09-10(月)三菱重工業三原 一般修繕 出場(3か月も要しているが、この間に、原爆投下や敗戦による混乱で現場復帰に遅れが出たと思われる 同時期に同工場で製造中のD52も3か月の製造空白がある)
1946-10-22(火)広島工機部 局部(六検)修繕 入場
1946-12-05(木)広島工機部 局部(六検)修繕 出場(約半分の設備が原爆により破壊されながら被災翌日から稼働した同工機部も、戦後の混乱により検査完了までに要する期間を大幅に延長せざるをえなかった)
1948-02-20(金)三菱重工業三原 局部修繕 入場(この時期、既に工機部の機能はほぼ終戦前と同等に復帰していたはずだが、膨大な修繕待ちの車両に対応できず外注したと思われる)
1948-04-07(水)三菱重工業三原 局部修繕 出場(物資不足や順番待ちで修繕に要する期間は相変わらず長い)
1948-08-16(月)糸崎区→岡山区
1949-09-27(火)広島工機部 乙修繕 入場(外注する必要がなくなった)
1949-10-18(火)広島工機部 乙修繕 出場(修繕に要する期間は相変わらず長い) 岡山区 着 10/20
1950-03-17(金)岡山区→国府津区
1950-04-30(日)浜松工機部 乙修繕 入場
1950-05-09(火)浜松工機部 乙修繕 出場
1951-01-22(月)浜松工場 丙修繕 入場
1951-01-27(土)浜松工場 丙修繕 出場
1951-05-31(木)国府津区→新鶴見区
1951-07-24(火)大宮工場 甲修繕 入場
1951-08-06(月)大宮工場 甲修繕 出場

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