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機関車データベース
D51:D51200
1938-09-30(金)浜松工場 NO.025 新製 配属 名古屋局 配置 稲沢区(着 10/6) 使用開始
1939-10-19(木)浜松工場 局部修繕 入場
1939-10-23(月)浜松工場 局部修繕 出場
1940-09-14(土)浜松工場 局部修繕 入場
1940-09-19(木)浜松工場 局部修繕 出場
1941-04-17(木)浜松工場 一般修繕 入場
1941-04-24(木)浜松工場 一般修繕 出場
1941-05-08(木)浜松工場 局部修繕 入場
1941-05-19(月)浜松工場 局部修繕 出場
1942-10-09(金)浜松工機部 臨時局部修繕 入場
1942-10-10(土)浜松工機部 臨時局部修繕 出場
1943-03-08(月)稲沢区→米原区(着 3/9) 987レにて発送
1943-04-02(金)稲沢区 六検 入場
1943-04-08(木)稲沢区 六検 出場
1943-05-26(水)浜松工機部 局部修繕 入場
1943-06-02(水)浜松工機部 局部修繕 出場
1943-10-04(月)稲沢区 六検 入場
1943-10-10(日)稲沢区 六検 出場
1944-01-24(月)浜松工機部 一般修繕 入場
1944-01-31(月)浜松工機部 一般修繕 出場
1944-06-27(火)稲沢区 六検 入場
1944-07-03(月)稲沢区 六検 出場
1945-01-18(木)浜松工機部 局部修繕(六検) 入場
1945-01-27(土)浜松工機部 局部修繕(六検) 出場
1945-07-30(月)浜松工機部 臨時局部修繕(戦災) 入場 前日の'45/7/29の22:00過ぎから遠州灘沖合に停泊中の米英艦隊が約1時間の間に2千数百発にのぼる無差別の艦砲射撃を行ったため、既に半年続いた空襲でほぼ焼け野原と化していた浜松市内に砲弾が降り注ぎ数百名の民間人が犠牲になった 本機は浜松駅構内停留中に缶胴を中心に複数の砲弾の貫通被災を受ける
1945-08-09(木)浜松工機部 臨時局部修繕 出場 983レにて到着
1945-11-27(火)米原区→大垣区
1946-02-02(土)浜松工機部美濃太田支部(浜松工機部は戦災により一部の機能を臨時で美濃太田区内に移管していたと思われる 某誌には浜松工機部の疎開先とあるが、同じ記事に本機の終戦間際に起こった浜松周辺への艦砲射撃被災貫通修理を浜松工機部で実施したとあり、終戦時まで浜松工機部が稼働していた事実と矛盾する) 臨時局部修繕 入場
1946-02-15(金)浜松工機部美濃太田支部 臨時局部修繕 出場 
1946-06-06(木)稲沢区 六検 入場 

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