このページは携帯用に最適化されています。
パソコン用のページはこちら
機関車データベース
C62:C6222
1948-08-20(金)川崎車輌兵庫NO.3155 改造(ボイラーD5222) 配属 広島局 配置 糸崎区(着 9/22) 標準ストーカー取付済
1948-09-29(水)使用開始 糸崎区
1949-04-08(金)糸崎区→水戸区 達325号(達は5/31付け) この頃 軸重軽減工事・手動式逆転機改造工事実施 時期不明(某hpには4/6付けで広島工機部で実施とある 某誌には新製配置使用開始時点で工事済みとあるが?)(なお、'50/4/8付けの達170号にも本機番が'49/4/4付けで移動とあるが事情不明)
1949-12-15(木)水戸区→白河区
1954-10-01(金)白河区→尾久区
1956-01-24(火)大宮工場 甲修繕 入場 ボイラーを新缶に交換
1956-01-31(火)大宮工場 甲修繕 出場
1958-04-01(火)現在 尾久区
1962-02-10(土)15レ牽引。亡父の「機関士手帳」より。(急行十和田と思われる)
1962-03-15(木)15レ牽引。亡父の「機関士手帳」より。(急行十和田と思われる)
1962-10-25(木)大宮工場 乙修繕 入場
1962-11-01(木)大宮工場 乙修繕 出場
1962-11-02(金)尾久区→水戸区(着 11/3) この頃 岩波映画製作所「ある機関助士」のロケで常磐線の客レの牽引機として走行シーンを撮影(本編の中で上り急客「みちのく」202レの牽引機として水戸(3分延発)-上野(定着)間の走行を披露しているが、某誌には実際のスジはEL化済で、撮影用に特別に臨時列車や単回を走らせたとある また、撮影時期を10/31とする資料があるが、あくまでもクランクインであり本機の移動履歴からすると実際の撮影は11月初めと思われる=撮影時の区名札も「水」 もちろん、借入機でも「水」となるが)
1963-06-01(土)水戸区→平区 この頃 常磐線電化対策装備実施 正確な時期不明
1966-05-17(火)旅客第233レ牽引。当時の通学メモより。
1967-06-09(金)210レ第T十和田。亡父の機関士手帳より
1967-08-10(木)常磐線全線電化開業2ヵ月前。202レ牽引。(第1みちのくと思われる)亡父の「機関士乗務日誌」より。
1967-08-21(月)常磐線電化開業2ヶ月前。247レ牽引。亡父の「機関士乗務日誌」より。
1967-09-02(土)常磐線電化開業前月旅客第232レ牽引原ノ町まで。原ノ町から罐換えあり機関車不明。当時の通学メモより。
1967-09-16(土)常磐線電化開業前月第3210レ牽引(北海道観光号)。原ノ町で罐換えC6245へ。。当時の撮影メモより。
1967-09-26(火)常磐線電化開業前月旅客第232レ牽引原ノ町まで。原ノ町から罐換えあり機関車不明。当時の通学メモより。
1967-09-30(土)電化記念飾りつけ実施 常磐線電化前SL牽引最終上り急客202レ「第1みちのく」ー客226レ(お別れ列車)牽引 仙台ー原ノ町ー平間
1967-09-30(土)仙台駅で鉄道友の会東北支部より『さようなら蒸気機関車』の花輪をフロントデッキからナンバープレートまでかかる大きなヘッドマークを掲げ202レ急行第1みちのくを牽引。ED75をC6222「平」に牽引機変更。原ノ町駅で給水、給炭、給砂を補充し、平行き普通列車226レを牽引し最後の旅路に向かう。
1967-11-24(金)廃車(平区) 関東支達乙168号 走行距離 2,135,215.7km(某資料には2,135,119.3kmとあるが?)

1ページ中 1ページ目を表示(合計24件)    デゴイチよく走る!
DB 鹿 宿