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機関車データベース
C59:C59127
1947-07-30(水)川崎車輌兵庫NO.3143 新製 配属 大阪局 配置 宮原区(着 翌月初め)
1952-04-01(火)現在 宮原区
1953-06:鷹取工場 入場 重油専燃機への改造のため 油液気化による配管詰まり・火皿形状の調整、および混合比率一定化のための空気混合室を製作・アーチ煉瓦を二枚組に変更・アーチ煉瓦の強度不足のため再度一枚組に戻し通風穴面積を広げアーチ管も容積を増やすべく改造など4回の改造を実施 
1953-12-08(火)鷹取工場 出場 重油専燃機への改造完成(当時、炭質低下と炭鉱ストで価格高騰のため重油併燃機改造が増えたが、本機は専燃化の実験機となったもの 炭水車炭庫を重油槽化) 試運転
1954-01:1/26及び1/27に大阪-京都間の急客32レ牽引試験の結果、概ね性能向上を認める また、懸念されたシンダは問題を認めず、煙は1度以下の運転が可能と判断
1954-02-21(日)借入 糸崎区 返却日 不明
1954-02-25(木)(〜3/4頃まで)糸崎-八本松間の急勾配で牽引試験の結果、期待はずれの結果となる
1954-03:この頃 返却 宮原区 正確な時期不明
1954-09-11(土)前回試験後に問題点の解決策として空気取入口を追加、火床改造も行い再び同区間にて勾配牽引試験を実施、石炭炊きより20%の性能向上を認める 但しこれ1機のための運用、専従乗務員養成が非効率という問題があり、急行「ゆのくに」(大阪-米原間)専用機となる
1956-11-18(日)第一種休車指定 宮原区
1957-04-27(土)宮原区→盛岡区 達479号(達は8/28付け)盛岡ー一戸間の補機に試用したが、運用面の非効率さが現場に不評ですぐ休車となる
1957-05:第一種休車指定 盛岡区
1958-04-01(火)現在 第一種休車継続中 盛岡区
1958-05-28(水)盛岡区→鷹取工場 達444号(達は9/11付け) 第一種休車継続中(1輌のみの重油専燃機は運用面と専従乗務員の制約に加え、重油価格高騰もあり、技術革新の証人として保存の動きもあったが結局廃車解体の決断が下る)
1959-06:この頃 第二種休車指定 鷹取工場 正確な時期不明
1960-03-31(木)廃車(鷹取工場) 達173号(達も3/31付け)

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DB 鹿 宿