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機関車データベース
C53:C5388
1930-12:川崎車輌兵庫NO.1381 新製 配属 大阪局 配置 梅小路庫
1936-09-01(火)梅小路庫→梅小路区(職制変更)
1941-03-31(月)現在 梅小路区 
1945-08-31(金)現在 梅小路区
1945-09-09(日)山陽本線西明石を客2レ(14輌)の牽引機として通過の際に、水害により構内冠水のため単線運転=代用手信号であることを往路で承知していたにもかかわらず、復路はこれを忘却し手信号の停止現示を盲進 第9号転轍器を割出して破損する事故発生(某資料には9/19とあるが気象庁のデータによると誤りとせざるをえない)
1946-07-26(金)05:55頃、東海道本線安土-能登川間を東京発門司行き急客5レ(本機+現車12輌、換算45輌)の牽引機として能登川駅定通にて走行中、起点468.37km地点で逆転弁棒折損により緊急停車したところ、後続の新鶴見操発吹田操行き貨179レ(D51495+現車48輌、換算78.4輌)が能登川駅の場内信号停止現示を冒進し追突する事故発生 5レ側は後部客車2輌脱線転覆 179レ側は牽引機前部が客車にめり込み貨車15輌目までが脱線傾斜し上り線を支障 死者15・負傷70 原因は貨レ乗務員の怠慢(居眠りと不注意) 
1946-07-26(金)この事故の死傷者のなかに多数の中国人・朝鮮人帰国予定者がいた 戦時中に半強制的に徴用動員され各地に散らばっていた外国人労働者には専用列車や優等列車が手配され50万人以上が無料で帰国していったが中には三国人特権を利用して国内にとどまり駐留軍の手先や脱法行為による土地乗っ取り等で巨額の利益を得たものもいた
1946-12-29(日)17:16頃、客133ㇾ(本機+現車12輌、換算44.5輌)の牽引機として東海道本線守山駅96.5分延発し起点490.317kmの中仙道踏切にさしかかった際に、横断中の貨物自動車と衝突し自動車大破する事故発生 負傷5(貨物自動車同乗者) 原因は踏切警手代務の線路工手の遮断機操作遅滞
1950-01-31(火)廃車(梅小路区) 車工56号(後追いの大鉄局達乙222号(達は2/15付け))(某資料には'50/2/15付けで解体とある)

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DB 鹿 宿