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機関車データベース
C53:C5345
1928-11-02(金)汽車製造大阪 NO.1040 新製 配属 大阪局 配置 梅小路庫
1932-03-31(木)現在 梅小路庫
1936-09-01(火)梅小路庫→梅小路区(職制変更) 
1937-10:この頃 梅小路区→姫路区 正確な時期不明('37/10/10付けの東海道本線京都ー吹田間電化による)(姫路区のC51が玉突きで岡山区に転出)
1938-06-15(水)03:56頃(03:59?)、山陽本線熊山-和気間を下関発京都行き客110レ(C5359+客車13輌)が走行中に、改良工事の盛り土部分が軟弱化した築堤崩壊により脱線し牽引機は5m下の竹藪に転落、客車前4(某資料には6輌とあるが?)輌脱線転覆大破し下り線を支障、おりから対向の京都発宇野行き客801レ(本機+客車)が到来し110レ客車5輌目側面に激突し本機が脱線する事故発生 死者25・負傷108(死者に修学旅行帰りの小学生多数・訓導3・客110レ牽引機乗務員2を含む)
1943-02:姫路区→宮原区
1944-04-18(火)宮原区→区名不明(名古屋局管内 米原区の可能性が高い) 達360号(達は5/12付け) 
1944-09-08(金)区名不明(名古屋局管内 米原区の可能性が高い)→梅小路区 達791号(達は10/14付け)
1944-11-19(日)01:56頃、山陽本線上郡-三石間にて客233レ(本機+客車11輌)の牽引機として停止信号現示により停止したところ、後続の貨345レ(D52+貨車56輌)の乗務員が居眠りのため信号冒進して列車後部に衝突する事故発生、客車5輌が脱線大破・衝突したD52(機番不明)及び貨車4輌も脱線 死者38・負傷57 その後 D52の居眠り機関士は責任の重さに蒸機の火室に投身自殺(某資料には別機番C5745とあるが、当該機はこの時期 宇都宮区に在籍しており、本機番の見誤りと思われる 但し、別機番C5748等の可能性もあり
1950-04-01(土)現在 梅小路区
1950-06-01(木)現在 第一種休車中廃車予定(第二種休車相当) 梅小路区
1950-06-29(木)廃車(梅小路区) 車工415号(後追いの大鉄局達乙1393号(達は7/13付け)) 形式最終廃車機の1輌 走行距離 約2,300,000km
1952-03:現在 国鉄吹田教習所にて教習用車輌として保管(当初、廃車解体待ちで留置されていた吹田操で部品の盗難があり、吹田区に移動して留置していたものを教習用に流用)
1957-12-07(土)鷹取工場に移送 同工場構内で保管(教習用には時代遅れとなり、敷地が校舎増築のため手狭となったため)
1961-06-15(木)鷹取工場 自走可能な復元工事開始('61/10に大阪交通科学館開館に併せて、SLの展示品として陳列することになったもの 当初科学館は義経号を考えていたが、工場側が反対)
1961-08-14(月)鷹取工場構内試運転 この頃 一時的に復籍(本線上運転に必須のはず)? NO.C5345 配置 吹田第一区?
1961-09-20(水)鷹取工場ー吹田操間(途中、西宮構内にて展示) 復元整備記念列車運往復運転実施(マニ+スシ28301+マロネフ591+マロテ492+スハフ)
1961-09-21(木)前日に引続き公開試運転実施 鷹取工場-宮原-大阪(構内にて展示)-吹田操-竜華操車場 この頃 廃車(吹田第一区?) 正確な時期不明 形式最終廃車機(復籍していた場合)
1961-09-22(金)竜華操車場から大阪臨港線大阪港迄有火回送後、交通科学館に陸送(この頃 形式的に復籍したものを除籍 正確な時期不明)
1962-01-21(日)開業した交通科学館にて展示(当初前年10月に開業予定だったが室戸台風のため遅延)
1972-09-27(水)大阪臨港線浪速駅構内で梅小路での静態保存展示向け無火回送(貨車扱い)発送待ち
1972-09-30(土)梅小路区に到着(車籍復活ではなく、あくまでも備品としての移動)
1972-10-10(火)梅小路蒸気機関車館開業に合わせ保存展示開始(備品)
2006:現在 準鉄道記念物指定 現存唯一のC53形式として梅小路にて静態保存
2016-04-29(金)京都鉄道博物館落成に伴い同館扇形庫にて公開展示

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DB 鹿 宿