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機関車データベース
C12:C1260
1934-03-20(火)汽車製造大阪 NO.1219 新製 配属 大阪局 配置 宮原庫大阪分庫
1934-06-01(金)宮原庫大阪分庫→宮原庫 宮原庫大阪分庫最終在籍SLの1輌?
1936-09-01(火)宮原庫→宮原区(職制変更)
1940-03-31(日)現在 宮原区
1945-11:この頃 宮原区→宮原区池田支区 正確な時期不明
1947-09:宮原区池田支区→宮原区(10/1?)
1948-01:この頃 宮原区→西舞鶴区 正確な時期不明
1949-04-01(金)現在 西舞鶴区 その後 加古川区に移動 時期不明
1949-11-17(木)15:25頃、鍛冶屋線西脇駅で混711ㇾを組成するにあたり、まず3番線で貨車3輌を連結しさらに2番線の客車を連結すべく鍛冶屋方に引上げたところ、第55号転轍器が異方向に開通しておりこれを割出し本機の先輪1軸が脱線する事故発生 原因は転轍手の失念と操車掛の進路開通確認洩れ
1950-03-10(金)特別休車指定 加古川区
1950-08-03(木)特別休車指定解除 加古川区→米子区出雲今市支区
1954-04-01(木)現在 米子区出雲今市支区
1957-04-01(月)米子区出雲今市支区→米子区出雲支区(改称)
1961-06:米子区出雲支区→西舞鶴区
1967-03-31(金)現在 西舞鶴区
1972-03-23(木)西舞鶴区→会津若松運転区 この頃 第一種休車指定 正確な時期不明 移動自体も西舞鶴区から直接 郡山工場に入場した可能性あり SL末期にブームに乗じて全国各地の行政が手をあげた保存機は実移動を伴わない保存地の最寄り区で便宜上廃車扱いにした事例が多い 
1972-03-31(金)現在 第一種休車継続中 会津若松運転区(実機は郡山工場に入場済みの可能性あり)
1972-05-12(金)郡山工場で保存用の整備後、保存地に向けて有火回送(自走)
1972-05-13(土)川俣線を走行(おわかれ列車ではなく、自走にて保存場所最寄駅である岩代飯野まで単回 廃線おわかれ列車は別途DCにて実施(DCにつけて有火回送すればよいのに)(当時既に川俣線のSL運用は廃止済) 松川(会津若松から?郡山区経由重連有火回送で松川に到着)→岩代飯野(本機)&岩代川俣(C1266)にそれぞれ単行回着
1972-05-14(日)廃車(会津若松運転区) 仙台鉄道管理局長と福島県飯野町長との間で無償貸与契約締結(この日 川俣線も廃止)
1972-05-15(月)飯野町福祉センター(岩代飯野駅跡?)にて保存
2015-12:現在 いいの交流館(旧 飯野町福祉センター)に露天・柵付きで定期的な整備を受けつつ保存継続中 露天にも拘わらず回帰期限が長いため整備が劣化に追いつかない 部品・計器類の欠落あり 保存状態は普通

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DB 鹿 宿