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機関車データベース
C11:C11133
1938-03-09(水)汽車製造大阪 NO.1552 新製 配属 大阪局 配置 湊町区 使用開始
1938-04-30(土)湊町区→名古屋区多治見支区(着 翌月初め)
1938-12:名古屋区多治見支区→多治見区(本区に昇格)
1941-08-06(水)多治見区→深川区(函館揚陸 8/8 55便)
1945-11:この頃 深川区→深川区朱鞠内支区 正確な時期不明
1949-03-01(火)現在 深川区朱鞠内支区(某資料には深川区とあるが誤り また、その後 名寄区に移動とあるがこれも誤り)
1949-08-01(月)現在 釧路区標茶支区
1949-11-01(火)現在 釧路区標茶支区
1950-04-01(土)現在 第一種休車 釧路区標茶支区
1950-08-01(火)現在 第一種休車継続中 釧路区標茶支区
1950-12-01(金)現在 釧路区標茶支区
1954-04-01(木)現在 釧路区標茶支区
1956-03-05(月)07:41頃、標津線上武佐-中標津間を混32レの牽引機として走行中に、線路不良のため本機の次位トム40231が脱線しつられて後続貨車2輌と客車2輌も脱線転覆する事故発生 負傷23
1958-05-01(木)現在 第一種休車 釧路区標茶支区
1958-10-01(水)釧路区標茶支区→釧路区標茶現業所('58/10/1に標津線管理所が発足したが、動力車は釧路区傘下のままで同標茶支区が現業所に格下げ)
1959-04-01(水)現在 釧路区標茶現業所 その後 第一種休車指定 時期不明
1960-04-01(金)釧路区標茶現業所→標津線管理所(組織改正・管理所は中標津) 第一種休車継続中 その後 第一種休車指定解除 時期不明
1961-04-01(土)現在 標津線管理所
1963-04-01(月)標津線管理所→釧網線管理所(標茶)(組織統合・中標津から標茶に移る)(某資料には'64/4/1現在 網走区(そもそも網走に機関区はない)とあるが誤り 標津線管理所は標茶に存在)
1965-03-31(水)現在 釧網線管理所(標茶) その後 釧路区に移動 時期不明('66/4までの間) 釧網線管理所最終在籍SL?
1966-03-31(木)現在 釧路区
1970-03-01(日)現在 釧路区
1974-03-31(日)同日現在 配置 釧路
1974-10-12(土)廃車(釧路区) 走行距離 1,736,304.6km
1974-11-19(火)青少年センターにて保存 (C11171動態保存復活時に本機からかなりの部品取りが行われた)
1975-04-30(水)札幌鉄道管理局長と苫小牧市長との間で無償貸与契約締結
2015-06:現在 科学センター(旧 青少年センター)中庭に露天で保存継続中 公共施設敷地内の保存のため最低限のメンテは定期的に行われていると思われるが、屋根なしのため整備が劣化に追いつかない キャブ内立入り自由のため計器類の損壊あり また、当初の青少年センター時代の趣旨から宇宙科学部門重視の展示内容に変貌したため場違い感が強い 保存状態は普通 

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DB 鹿 宿