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機関車データベース
A3:A3-5
1871-01:Avonside Engine Co., Ltd. NO.834 新製 飽和式1Bタンク機 重量 24.6t 軸重9.9t 国内の鉄道創業時の5形式 10輌の中の1輌 (日本到着は翌年と思われる) 本機は鉄道院在籍を待たず譲渡されたため国鉄形式は保持していないが、日本の鉄道史に残る官鉄創業時の機種として例外的に鉄道作業局時代の形式にて記載
1872-06-12(水)品川-横浜(現 桜木町)間仮開業(旧暦 5/7) この数か月前までには実機到着し、再組立て、慣らし運転などを実施 NO.6 配属 工部省鉄道寮 (某資料には東部局とあるが誤り)  配置 不明 横浜発08:00及び16:00、品川発09:00及び17:00 所要時間各35分というから現在の京浜東北線並みの時間で走破 
1872-10-14(月)(旧暦 明治5年9月12日)東京(新橋)-横浜間鉄道正式開業式典実施 翌日より平常営業
1874-11:この頃 改番 NO.5 (京浜間の機関車を奇数番、阪神間の機関車を偶数番とするきわめて西洋的な改番)
1882:この頃 借入 日本鉄道 NO.5 路線建設用に使用したともいわれるが、日本鉄道は建設を急ぐあまり路盤固めが不十分で軽いタンク機を使わざるをえなかった このため当初は日本鉄道用のテンダー機と官営鉄道用のタンク機を交換借用していた
1886-11:返却 庫名不明(新橋運輸課管内)(新橋庫?)
1887-02:庫名不明(新橋運輸課管内)→沼津庫(本庫は1889/2/1付けの官設鉄道国府津-静岡間延伸開業に伴う沼津駅開業に先駆けて箱根越え区間の建設・資材運搬用に1886/12/1付けで開設 ただし、当初は七反田踏切横にあったが、沼津駅構内に1914に大型扇形庫つきの新機関庫を作り移転 機関区全図鑑には1889/12の開設とあるが誤り)
1889-04-11(木)11:15頃、安倍川ー鞠子川(丸子川)間(現在の安倍川駅付近)を焼津発上り工事列車の牽引機として走行中に静岡発の下り工事列車(161が牽引)と正面衝突する事故発生 死者4・負傷者7 原因は開業前の無閉塞見込み運転
1894-06-01(金)鉄道局により形式付与  C形 NO.5  配属 新橋運輸事務所 配置 不明
1898-11-14(月)鉄道作業局により改形式 A3形 NO.5(某資料にはNO.6とあるが誤り) 配属 新橋運輸事務所 配置 不明 この頃の本機の写真が機芸出版社「明治の機関車コレクション」に掲載あり
1901-09:この頃 廃車(庫名不明(新橋運輸事務所管内)) 正確な時期不明 形式最終廃車機の1輌(全機同時に廃車) 台湾提督府鉄道部に譲渡 NO.5(某資料にはNO.6とあるが誤り)
1901-10-05(土)鶴彦丸に積載し神戸港を出港
1901-10-07(月)五島列島女島付近で鶴彦丸は荒天遭遇により座礁沈没 本機も海の藻屑と消える その後 除籍 時期不明

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