このページは携帯用に最適化されています。
パソコン用のページはこちら
機関車データベース
C51:C51239
1946-03-28(木)埼玉県行幸御召列車牽引 原宿〜熊谷間
1946-03-28(木)天皇陛下戦災復興視察埼玉方面行幸お召し列車牽引 原宿ー熊谷・鴻巣ー川口間 本機+@編成(川口からは自動車にて御着輦)
1946-06-06(木)天皇陛下戦災復興視察千葉方面行幸お召し列車牽引 東京ー成田ー佐原ー銚子間(某誌やhpには大戸で下車とあるが、官幣二社=鹿島神宮・香取神宮への敗戦奉告がらみと思われる) 銚子は米軍空襲でまともな旅館や邸宅が皆無のため、新生貨物駅構内にて御料車を回送し車中泊  
1946-06-06(木)昭和天皇千葉行幸時の大戸下車は大利根治水事業と両総用排水改良事業視察のため.佐原から再乗車.なお,成田からは8620形(58682か?)
1946-06-07(金)天皇陛下戦災復興視察千葉方面行幸お召し列車牽引 銚子ー千葉間 犬吠埼を視察、千葉から東京へは自動車利用 千葉街道沿道の民衆の歓迎を受ける
1946-06-07(金)昭和天皇千葉行幸銚子ー千葉牽引は8620形(58682か?)
1946-11-18(月)天皇陛下戦災復興視察茨城方面行幸お召し列車牽引 東京ー日立ー水戸間 県庁にご宿泊 
1946-11-19(火)天皇陛下戦災復興視察茨城方面行幸お召し列車牽引 水戸ー石岡 & 土浦ー東京間
1947-04-01(火)現在 新鶴見区 この頃になると東京周辺は電化がすすみ、本機によるお召し列車運転は激減したため、慣らし運転と検査出場の客車の試運転用に随時東海道本線(品鶴線)大崎〜小田原間を走行したという
1947-10-15(水)天皇陛下戦災復興視察新潟長野山梨方面行幸お召し列車牽引 八王子ー原宿間 本機+@編成
1951-04-04(水)両陛下群馬県全国植樹祭(第2回)行幸啓お召し列車牽引 原宿ー前橋ー原宿間 国旗掲揚および菊紋取付なし
1951-06-22(金)貞明皇太后御大葬お召し列車牽引 原宿(宮廷ホーム 13:50発)ー東浅川(仮)間(武蔵陵まで霊柩を運搬する最寄りの仮駅 14:50着)
1952-10-22(水)両陛下東北3県(福島・宮城・山形)(第7回)国体行幸啓お召し列車牽引 上ノ山ー原宿間(ただし、米沢ー福島間はEF166が前補機)
1952-12:この頃 新鶴見区→大宮区 正確な時期不明
1953-03-19(木)借入 新小岩区 返却日 不明
1953-04-01(水)現在 大宮区(ただし、新小岩区に貸渡し継続中)
1953-04-04(土)両陛下千葉県全国植樹祭(第4回)行幸啓お召し列車牽引 両国ー千葉間(某資料によると、お召し列車牽引総計104回のラストラン ただし、某誌には同年5/6がラストランとある)(原宿ー両国のみ牽引をあえてELで運用するとは思えず、両国の地上ホームへの乗り換えも考えずらいので両国までは自家用車で乗りつけた可能性が強い)
1953-05-06(水)両陛下千葉県行幸啓お召し列車牽引 両国ー千葉間(これが本機のお召し列車牽引ラストランと思われる)
1953-09-13(日)借入 尾久区 返却せず
1954-04-01(木)大宮区→尾久区
1954-09-02(木)借入 大宮区 
1954-09-08(水)返却 尾久区(この頃 お召し機指定から外れる 正確な時期不明 東京局管内は一部ローカル線を除き幹線は電化がすすみSLのお召し列車が激減したためと思われる)
1955-04-13(水)尾久区→直江津区 達249号
1958-10-02(木)直江津区→新津区
1959-07-01(水)新津区→新潟区
1962-06-11(月)第一種休車指定 新潟区
1962-10-26(金)廃車(新潟区) 達518号(達も10/26付け) 事由:余剰 長野工場にて解体予定のところ有志による保存の声が新潟局に届き延命 
1963-09-23(月)長野工場から万代貨物線経由国鉄新潟教習所構内へ回送
1963-10-14(月)準鉄道記念物に指定 同記念式典の後、新潟鉄道教習所にて保存
1964-06-16(火)新潟地震により土砂に埋まるなど被害発生 放置後の 8月に脱線復旧訓練に利用され復元

3ページ中 2ページ目を表示(合計63件)    1 | 2 | 3    [前のページ] [次のページ]  デゴイチよく走る!
DB 鹿 宿