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機関車データベース
7010:7011
1873:Kitson & Co., NO.1916 新製 飽和式Cテンダー機 官鉄(着 1874 使用開始 同年12月) NO.19 配属 神戸運輸課 配置 不明
1876:この頃 改番 NO.16(京浜間と阪神間の機関車グループ毎の付番調整による)
1892-10:現在 庫名不明(神戸運輸課管内)NO.16
1894-06-01(金)鉄道局により形式付与   U形 NO.16  配属 神戸運輸事務所 配置 不明 
1898-11-14(月)鉄道作業局により改形式 E1形 NO.16  配属 不明 配置 不明
1909-10-01(金)鉄道院車両形式称号規程により改形・改番 → 7010形 NO.7011 配属 北海道局 配置 不明
1913-04-01(火)現在 北海道(旭川?)建設事務所に貸渡中 返却せず
1914-11-05(木)廃車(北海道建設局) 達17号 形式最終廃車機の1輌(全機同時に廃車)
1914-11-15(日)石狩石炭に譲渡(wikiによる)(某資料には美唄鉄道とあるが誤り) 函館本線美唄から沼貝に伸びる同社美唄軽便鉄道にて使用 NO.7011 wikiには芦別炭礦専用鉄道にて使用とあるが、石狩石炭の鉱業所は新夕張と美唄の二か所であり誤り(新夕張鉱は北海道炭礦に移管継承・美唄鉱は個人所有を経て三菱鉱業に移管承継)
1915-08-31(火)石狩石炭が同社美唄軽便鉄道と鉱区の一部を、株主飯田延太郎(同時期の海軍大臣とは別人、福岡県嘉穂郡出身の弁護士あがりで大正バブル期に実業界入りし炭鉱を財閥に売り抜けしたり、生命保険会社を徹底的に整理再建して巨利を得た その後、満州に渡り国策会社を興すも戦乱に呑まれ消息不明)に売却
1915-09-29(水)美唄鉄道に譲渡 NO.7011 美唄鉄道の営業開始は同年10/11付け(飯田延太郎は美唄鉱の権利も含め三菱に売り抜けて巨利を得たと思われる)
1940-04:この頃 三菱石炭油化鉱業に移管?(wikiによるが?)
1944-11-10(金)借入 帝国燃料興業(樺太) 同社内幌線にて使用(借入ではなく譲渡? また、某資料には帝国燃料興業に貸渡後に三菱石炭油化に貸渡とあるが、同社は'44/9の時点で帝国燃料興業にすでに吸収合併されており間違い)
1945-06:この頃 借入 三菱鉱業塔路鉱業所北古沢炭鉱? 正確な時期不明(ここは樺太内の鉄路として孤立しており、本斗から恵須取まで海運移送したものと思われる) 建設工事中に終戦? 
1945-08:ソ連軍により接収 その後 消息不明

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DB 鹿 宿