1988年11月23日(水)、新金線は新中川の鉄橋です。
サロンエクスプレス東京の先頭に立つのは、なんとビックリ、EF6254。
この列車は成田から、新小岩操→高崎→碓氷峠経由、長野までの団臨で、従来なら高崎までEF65、そこでEF62に機関車交換するパターンです。
しかし鉄道ダイヤ情報によれば、高崎では停車時間が2分しかなく機関車交換できませんので、まさかとは思いつつも新小岩操からEF62が牽引することを予想していました。
たとえばEF64にしても、黒磯までロングランしたり、常磐線も我孫子まで入線するなど、国鉄時代には考えられなかった柔軟な機関車運用が散見されるようになっていました。もはや「EF62が新金線を走ってもイイんじゃね?」という空気は出来上がっていたように思います。
ただ、前日のサロンの送り込み回送も当然EF62牽引だと思っていたところ、予想に反してEF65が牽いてきて、「ああ、やはりEF62は夢物語だったか」と一時は落胆することとなりました。
鉄道ダイヤ情報は「○ヤ情」という別名もあるぐらい、つまり「高崎2分停車」という記事が誤りなのだ。実際には停車時間はもっと長く取られていて、定石通り高崎で機関車交換するのだよ。
狐につままれた思い、とは正にこのこと。
わざわざ単回でEF62を持っていったのか?
まぁそれしか考えられないが、新小岩操で余ったEF65はどうするの?
これも単回で持って帰ってくるの? それとも滞泊?
それじゃ明日もEF62を単回で返すの?
前日の送り込み回送もEF62が牽いて行けば無用な単回が発生しないものを、当時6輌しか稼働していなかった貴重なEF62ゆえ、色々と制約があったのかも知れません。極端な話、高崎まで単回で持って行くよりはマシですね。
しかし、時代も変わったナー
2014.8.27 (終)
■鉄道ダイヤ情報1988年12月号「ジョイフルトレイン運転予定表」より(クリックで拡大)