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「瀬戸」先送り回送
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■1986-4-13 田町
一瞬165系急行「東海」かと思いますが、先頭車ドア横の窓配置を見ると167系で(車輌に詳しい人が見れば、もっと色々な箇所で判別できるんでしょうけど)、グリーン車なし8連。おそらく修学旅行臨で、知る人ぞ知る「こまどり」でしょうか。まったく意識せずとも0系が写り込む時代


■1986-4-13 田町
185系200番代「踊り子」。本来の185系0番代「踊り子」は、車体中央に斜めストライプという塗装ですが、「新幹線リレー号」の任を解かれた200番代が何本か田町電車区に転属し、しばらく横帯のまま「踊り子」運用に就いていました。それにしても、さっきの167系の戻りがカブってる・・・


■1986-4-13 田町
103系 山手 影が・・・今回の撮影場所の選定にあたっては、とにかく「瀬戸」のヘッドマークがハッキリ見えること。そして普段あり得ない時間帯に東京を走っているのが判ること。ということで田町に決めました。ここなら機関車のヘッドマークだけでなく、東京までの送り回送の時に客車側のテールマークも撮影できます。田町なんぞお手軽撮影場所の代表格と言えますが、一応それなりに考えた末の結論です。

では次に、何時から待てばよいか。田町では鉄の皆さんが押し掛けてパニックになるのは必至です。2時間前? それならもう少し早く行けば12:10発の20系も撮れるし、さらには11:30発の客車「踊り子」もあるし・・・結局、9時頃から田町で陣取っていたように記憶しています。

しかし今回のネガを見ていて残念なのは、朝ラッシュ後に東京に到着する上りブルトレ(富士、はやぶさ、みずほ、さくらなど)の品川への戻し回送が目の前を走っていたはずなのに、まったくシャッターを切っていない点です。当時、フィルムはまだ安いものではなかったのと、まさか東京発着のブルトレが全廃される日が来るとは思いもよらなかったということもあるのだと思います。

それはともかく6時間待って、やっと「瀬戸」の“先送り回送の回送”がやってきました。今だったら間違いなく、品川から直に下り方面に出すところですが、ここは律儀にいったん東京まで送られます。当時の東京駅は12番線と、機回し専用の11番線が健在でしたから、品川で慣れない作業をするよりは、今回のスジが利用した予定臨・回8105〜8105と同じ段取りで作業した方が効率が良かったのかも知れません。

が、“先送り回送の回送”を見た途端、私は愕然とすることに・・・


■1986-4-13 田町
211系 まだまだ本数が少なく、見かけると「おっ」という時代でした


■1986-4-13 田町 303M
165系 急行「東海3号」


■1986-4-13 田町
185系200番代「踊り子」。さきほどの戻り。それにしてもよくカブります。それほど列車本数が多く、編成も長いということでしょう


■1986-4-13 田町 回9155列車
「瀬戸」先送り回送の回送。品川から直接、下り方向に出してしまえばいいと思うのですが、構内作業の関係もあるんでしょう、営業列車と同じように律儀にもいったん東京まで送られます。で、EF65PFが牽いて行ったのはいいのですが・・・田町駅ホームに所狭しと陣取る鉄の皆さんから一斉に「アッーーー」「エッーーー」の声が発せられました。ええ、私も声を発してしまった一人です。だって6時間も待ったのに・・・↓↓↓


■1986-4-13 田町 回9105列車 (東京発15:40) EF651115 「瀬戸」先送り回送
ヘッドマーク無し!!
そう、さきほどの「アッーーー」「エッーーー」は、EF65PFにヘッドマークが付いていなかったからです。東京駅で付けるなんてことは考えられないので、さっきの“回送の回送”の時点でヘッドマークが無ければ万事休す

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デゴイチよく走る!
DB 鹿 宿