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機関車データベース
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1892-11:Maschinenfabrik Esslingen AG NO.2502 新製 ラックピニオン/アプト式Cタンク機 現地製造後船積み(本形式は同社のイタリアに当時存在したSaronno分工場にて製造された可能性が高い) 
1893-01:逓信省鉄道庁(官鉄) NO.194 配属 新橋運輸課 配置 横川庫(本庫は1885/10/15付けの官鉄高崎ー横川間開業に併せて開設)
1893-04-01(土)碓氷線開業により本運転開始 牽引定数70t 横川-軽井沢間片道75分をかけて5往復/日・時速9kmにて運転 上り坂での煤煙に乗務員と乗客は苦しみ窒息失神したり乗車を拒否する騒ぎも起こる
1894-06-01(金)鉄道局により付与形式・改番 AD形 NO.126 配属 新橋運輸事務所 配置 横川庫
1898:この頃 重油併燃装置取付 正確な時期不明('96/11/5付けの岩崎渡辺コレクションの横川庫での本機写真では未装着)
1898-11-14(月)鉄道作業局により改形・改番 C1形 NO.500 配属 新橋運輸事務所 配置 横川庫 改形後の本機の写真が機芸出版社「明治の機関車コレクション」に掲載あり、重油タンクが装着されている事を確認できる
1909-10-01(金)鉄道院車両形式称号規程により改形・改番 → 3900形 NO.3900 配属 東部局 配置 横川庫
1917-03-22(木)23:00頃、信越本線熊ノ平(信)-軽井沢間を貨171レ(3905+本機+貨車12輌)の次位補機として横川10分延発・熊の平22:30発にて走行中に、第17号トンネル西口で缶水欠乏のため停車、蒸気昇騰を待って17分後に発車したものの第21号トンネル内で本機(某資料には本務機とあるが?)火夫が窒息失神 次位ピフ車乗務中の火夫を代役として進行するが第26号トンネル内でこの代役火夫も失神 やっとの思いで軽井沢駅到着時に本機機関手及び第二代役(ピフ乗務の別の火夫)も失神しており手当するも機関手は死亡する事故発生
1922-07-06(木)廃車(横川庫) 達500号 形式最終廃車機の1輌(全機同時に廃車)(碓氷トンネル電化は1912/5/11付けだが貨物用に1921/5/8まで蒸機を使用、10020形(後のED40)増備で同年冬までに完全無煙化完了)

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DB 鹿 宿